発言の持つ意味。 | 「今日の献立」 

発言の持つ意味。



毎朝、目が覚めると寝室のテレビをつけます。
その日の天気と気温を見るのが日課になっているからです。

今朝も例によってテレビを付けて見るでもなく聞くでもなく、、、
すると朝の情報番組でどこかの町の振興ポスターについてのニュースを読んでいました。もともと、目は今日の天気に行っていたのでほとんど聞き流していたのですが「池波正太郎」という言葉に頭が反応したんです。

そのあと電波に乗って届いた言葉に不愉快な思いをさせられました。

後でインターネットで検索したところそのニュースは下記のような記事内容でした。ポスター画像は「スポーツニッポン大阪」より


池波正太郎が書いた一文を載せた三重県観光連盟の05年キャンペーンポスターが、文言の一部に不快と感じ取られる部分があるとして、連盟は11日、配布したポスターを回収し廃棄すると発表した。

「年増女」などの表現に対する苦情が寄せられたため。回収されるのはそのうちの一つで、伊賀牛をPRするポスター。72~73年、週刊誌に連載された池波正太郎のエッセー「食卓の情景」から、

「松阪の牛肉が丹精をこめて飼育された処女なら、こちらの伊賀牛はこってりとあぶらが乗った年増女である」

などの一文を、伊賀地方の田園風景、すき焼きの写真と共に掲載している。連盟によると、2月下旬、同県伊賀市内の観光協会が事務所玄関に張りだしたとろ、女性十数人から「処女とか、年増女という表現は不快」との苦情が寄せらた。連盟は県の人権担当者に問い合わせ「エッセーが書かれたのは30年以上も前。時代にそぐわない」と指摘され回収を決めた。


 
池波正太郎といえば「鬼平犯科帳」をはじめ数々の時代小説を残した日本を代表する作家でありまた、大変な食通でも知られ数多くの食に関するエッセイも残しています。
氏の一文をポスターに採用した事が悪いことかどうかを議論するつもりはありません。また、それらを撤去するよう申し入れた事にも異議を唱えるものでもありません。どんな文章であっても「不快」に思う人はいるでしょうし、公の場に張られるポスターに上記の文章を選んだ事が多少「あさはか」といわれても仕方のないことかもしれません。

でも、それに関した事をたとえブログであれここに書く以上は僕の意見も述べなくてはなりませんね。
「不快に感じられてしまう事は残念だなぁ」です。
池波正太郎氏の食に関するエッセイは好きでたくさん読ませて頂きました。上記の随筆にも覚えがあります。「飼育された処女」や「あぶらがのった年増女」の表現が今の時代にそぐわないというのは理解できます。しかし、、、2つの有名な牛肉を女性に例えたその見事な表現力に思わず「う~む」と唸ってしまうは私だけでしょうか。肉の色艶、サシの入り具合がこの短い文章から浮かんできませんか?
やはり「食」を語らせたら、池波正太郎開高健だなぁ… としみじみ思ってしまうのであります。

え~と、、前置きが長くなりましたが、僕が今日少なからず不愉快な思いをしたのはテレビに出演していたコメンテーターのこのニュースに対する一言です。

一言一句は覚えていませんのでおおよその内容です。

池波正太郎さんは多くの文化的作品を残していますが「文化」というのはあくまで個人で楽しむモノでありそれをこうした形でおおやけのモノとして使うのはいかがなものか。選考した連盟の人たちの意識の問題で、云々…… もちろん、池波先生にも作品にも非は無いのですが。

この言葉です。

文化は個人で楽しむモノ!?

ちょっとちょっと!
 
三島由紀夫や夏目漱石と比べはしませんし、比べるべきものでもありませんが、池波正太郎と言えば数々の名作を残した日本の文豪ですよ。そうした優秀な作家が残した作品は「個人」で楽しむものであると同時にみんなが共有すべき財産なんです。

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。」

川端康成の名著「雪国」の冒頭の一文です。「雪国」を読んだことが無い人でも、このフレーズは良く知られています。たった数個の文字を組み合わせているだけなのに、その情景さえも浮かんでくる名文です。これは、「個人」で楽しむものではなく、共有の財産です。それを「財産」として認識できないのは、個々の教養の問題です。だからこそ教育は大切な事であり、国民の権利でもあるんです。
池波正太郎の作品が国民の財産かどうかは分かりませんが、すくなくとも共有できうるだけの「作品」であることは間違いないと思います。


何気なく言った一言だとは思いますが、、、テレビという公共の電波で「文化は個人で楽しむべきもの」はいかがなものでしょう?
「処女」「年増女」の文字だけを読んで 彼は池波作品をコンビニに無造作に並ぶアダルト雑紙並みの「文化」と認識したんでしょうね。もちろん、その程度のものを文化と呼ぶのであれば確かに「文化は個人で楽しむべきモノ」ですな。

池波正太郎が残した「食」に対する多くの作品は いま日本人がなにより持たなくてはいけない「食へのこだわり」「食材への尊敬」が描かれています。是非多くの人に読んでもらいたい。 そして、多くの人が氏の作品と氏の「食を大切にする心」は我々日本人が共有しなくてはならない財産だなぁ と感じてもらいたいのです。


フジテレビVSライブドア問題やNHKの度重なるスキャンダルが報じられるたびに「電波の公共性」が論じられています。
公共性と共にもっとも大切なのは「電波に乗せる事の責任」です。発言には是非責任を持ってもらいたい。テレビというメディアが持つ影響力は強力です。こまいブログの中で好き勝手に発言しているのとは大違いですからね。

テレビには出来るだけ「文化的」な番組を放送してもらいたいものです。なにしろ公共の電波なのですから。 もっとも他人の失敗や失言を笑いものにするような番組をだらだらと流し続け、あげくに金さえ出せばどんなスポンサーでもゴールデンタイムにコマーシャルがうてるような姿勢では「文化的」とはとても言えませんな。池波正太郎の作品の一文を取り上げた連盟の人たちを非難する前に自分達の襟を正すべきでは? と僕は思うのでありました。


今のメディアのあり方には常々疑問を持っています。

司会者、キャスター、コメンテーターの無責任な発言にも「いいのかなぁ?」と思うことが再三あります。今日も、、、つい熱くなってしまいました。
長文で多くの人がパス!された事と思います。最後まで読んで頂けた方の「我慢強さ」には敬服致します。 ありがとうございました。



今日の献立は、、、

池波正太郎氏のエッセイを思い出して旨いものが食べたくなりました。

で、ちょっと美味しいものを作ったので気分を改めて明日紹介します。