「外交下手日本 その参」 | 「今日の献立」 

「外交下手日本 その参」

 
8月6日 この日付を見て、
「あっ、、、、あの日か、、、」今、何割の日本人がそう思うんでしょう?

1945年8月6日8時15分。
広島に原爆が投下された日時です。死者14万人、被爆者は30万とも40万とも言われています。
原爆記念日として今もなお忘れてはならない、日本にとっては「悲劇の日」しかし、外国ではこの日をどう思っているんでしょう?
 
今から約30年前、僕は事情があって「ヨーロッパ」にいました。 学校はインターナショナルスクールに通っていたんです。確か、12、3カ国の子供達が寮生活をしながら学校に通っていました。
ある日、図画の授業があって与えられたテーマが「ポスター」でした。 それぞれが鉛筆やクレヨン等を使って思い思いのポスターを書き上げました。 発表の場に行って、一枚のポスターに目を奪われました。
そこには

「6/8/1945 HIROSHIMA 原爆投下記念日」 (記念日といっても、祝日に近い言葉)  

とあって、キノコ雲の絵の下に色々な国旗や戦闘機の絵が書いてありました。色彩は鮮やかでそこには「悲劇、悲惨」を感じさせるモノはない。
 
それを書いたのは当時、15歳のフランス人でした。 原爆の悲惨さ、敗戦濃厚の日本に対して不要だった事、そして今なお後遺症で苦しむ被爆者の方々、その「事実」を知っていた僕は激怒しました。 たしかにこの日に原爆が落とされた事は紛れもない事実だが、まるで祝日のように扱うのは間違っている!と、、、 怒りを覚えると同時に、彼がその日付を知っていること、そしてHIROSHIMAという名前を書ける事に驚きました。なぜって?当時のヨーロッパ人は日本と中国、香港の区別も、場所も、まったく知らなかった。彼だって、世界地図の中から日本を指させなかったくらいです。それなのに、、、原爆が投下された都市の事は知っている。
 
僕の猛烈な抗議に対して、彼は平然と言いました。
「なにを言ってるんだよ! 原爆のお陰で第二次世界大戦が終わったんじゃないか」
「あの戦争はお前ら 日本、ドイツ、イタリアがしかけた侵略戦争じゃないか!自業自得っていうんだよ!」
ドイツ軍のパリ進軍によって降伏したフランス。 その国に生まれた彼等にとってあの戦争での悪はまぎれもなく、ドイツ・日本だったわけです。それでも、僕は原爆の悲惨さや後遺症の事を彼等に説明し「祝日扱い」はやめろと訴えました。しかし、、、その争いを見ていた先生がこんな事を言ったのです。  

「原爆は確かに、悲劇的な兵器で二度と使ってはいけない。でも、、、もし広島、長崎に原爆が投下されなければ、日本軍部は本土決戦、日本人総カミカゼ(KAMIKAZEもみんな知っていた)を考えていたんだ。全滅していた可能性もあったんだよ。だからあの時、原爆投下は日本人にとっても良かったんだ」
 
この溝はどうやって埋めれば良いのでしょうか? 
お互いがお互いの考え方を罵倒し非難していたのではいつまでたっても平行線です。結局はお互いが持っている「事実」を認めた上で話し合い、理解し合う以外無いんです。
悪の象徴のように言われた「ナチスドイツ」日本と同じ敗戦国ですが、戦後の処理は素早かったと思います。
日本と同じような問題を抱えていたはずなのに、、、 今でも「ナチス」は非難されていますが、ドイツ或いはドイツ国民に対して非難をあびせるような事件を聞くことはありません。 
 
戦後処理を先送りにしてきた日本と、ドイツの差がここに現れているのではないでしょうか? 
国境を一歩跨ぐと「外国、隣国」のドイツと島国日本、、、地理的なことだけが理由とも思えません。
 
政治家だけではなく、我々日本人が過去の歴史に対し「真摯」な気持ちで向き合う必要があると思います。歴史上起こった事実を掘り起こしどっちが正しいかの議論では解決の道はありません。
今の「イラク」を見ればよく分かります。相変わらず戦闘が行われていて「戦争状態」であることは間違いのない事実ですが、その戦闘が正しいことなのか誤ったことなのか、アメリカとイラクではまっぷたつに意見が分かれます。アメリカの空爆によって多くの民間人が犠牲になった、、、犠牲者の彼等は30年たとうが、50年たとうがその事実を「善行」であったとは認めないでしょう。 しかし、仮に10年後イラクに民主主義が根付き、平和が訪れたらアメリカにとってあの戦争は正しかった、、、となります。  

戦後60年たった今でも、その傷を色々な形で引きずっている事実!
これだけは忘れてはならないし、僕ら日本人も戦争に対する「認識」を新たにすべきです。 
「日本」、、、
経済では急成長を成し遂げましたが、そろそろ方向転換の時期に来ているような気がします。
地球上で唯一の「被爆国」です。 その悲劇的な経験を糧に「世界を平和に導く国」になってもらいたい。 
「日出ずる国から平和を」 そう願ってやみません。